| パキスタンの首都イスラマバードから、陸路西へ。アレクサンダー大王も通ったというカイバル峠を経て越境、首都カブールにたどり着く。翌日から調査活動に入った。 今回の調査は、比較的安全といわれていたカブールに限られた。しかし、その範囲でも、アメリカの空爆による傷跡はすさまじい。 1979年のソ連侵攻、引き続く長い内線によるダメージから、アフガンを立ち直らせるために活動していた、様々な組織・機関は、空爆により破壊されてしまった。 地雷除去のため活動していたNGOの出張所が、空爆により半壊し、スタッフ4人が死亡した現場を訪れる。死体はバラバラの肉片と化し、どれが誰の一部だったか見分けられなかったという。 タリバン兵が逃げ込んだというだけで、国際赤十字の倉庫群も破壊しつくされた。トタン屋根を突き破った爆弾は、厚さ20センチのコンクリートの床を突き破り、直径7メートルを越える巨大な穴を残していた。穴のすぐ側から上を見上げると、雲一つ無いアフガンの乾いた青空に向かい、グニャグニャになった倉庫の鉄骨が不気味に伸びている。 空爆により命を落とした人々の遺族のもとを訪ね、当時の様子を詳しく聴いた。 「亡くなった9歳の娘は、とても賢くて、やさしい子でした。私たちはタリバンでもなんでもない。それなのに、子どもを殺され、我が家を失ってしまった・・・・。」 二人の子どもを亡くした母親の言葉が、日本に帰ってきた今も、頭から離れない。 |